考え事

長めの独り言

 前回のブログをアップした直後に、今年の抱負とか目標みたいなものを書くべきだったのでは…と思ったものの後の祭りでした。

制作に関しては、ここ数年は型を作って同じ形のものをたくさん作るのと、一点ものの大きめの作品を作るのが二つの柱みたいになっているのですが、今年はこの中間くらいの感じで何かできないかなあと考えています。
一つベースになるものを作って、そこからバリエーションを広げていくのが楽しいし、いろいろ試していきたい。

それ以外の面については、息切れしないようにうまく補充しながら走れるようになりたいと思っています。
昨年は、展示の回数はさほど多くなかったのですが、とくに三人展には並々ならぬ緊張感をもって臨んでいたので、夏以降はずっと全力疾走という感じでした。
展示会の直前に体調を崩していたこともあり(咳が止まらなくなって吸入薬を使っていました)、非常に消耗しました。

夏以降読書の余裕がなく、吉村昭の『破獄』(戦時中の監獄で脱獄を繰り返す囚人のお話)を読み始めたものの数ページずつしか読めなくて2ヵ月くらいかかってしまい、自分も監獄の中にいるような閉塞的な気持ちになっていました。本を開いてもなかなか進まず、小説が読めない状態に。
時間の問題もありますが、何か別のことで頭がいっぱいになっていると物語に身をゆだねることが難しくなってきます。

そういう状態が続いたので、時間ができたら何かボリュームのあるものを読みたい、美しい文章が読みたいと思っていまして、三人展が終わってから、以前から「いつか読もう」と思っていた三島由紀夫『豊饒の海』に取り掛かりました。
旧字体の本だったので、最初は読みづらかったのですが、スマホに漢和辞典のアプリを入れて(手書き入力で検索できるので非常に便利でした!)読み進めるうちに文字にも慣れてきて、久しぶりに「貪るように読む」という体験をしました。

好き嫌いの分かれるところなのでしょうが、三島の表現技巧を尽くした美しい描写は乾ききった土に水がしみ込んでいくようで、「どうしてこんな表現ができるのだろう」と同じ文章を何度も読み返したりしました。
印象的なシーンはたくさんあるのですが、とくに『春の雪』で清顕の見る夢の一つ、無数の死んだ鳥が空から降ってくる場面がとても印象に残っています。

この本を書き上げた直後に自決していることを知って読むので、あらゆる文章が遺書のように感じられ、とくに第四巻は読むのがつらいようなところもありました。

何が言いたいのかわからないままだらだらと長くなってしまいました…。
最近はツイッターで短いつぶやきばかりなので、たまにはとりとめのない長めの独り言も良いでしょう。
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ありがとう

「半月」 この子は一番展示の機会が多かった。4回。もっとも多くの人の目に触れた作品となりました。

今日でお別れ。

今まで、ありがとう。

「駆る半月沈まず 湿原遥か」

この子のために作った回文です。

はんげつ


※「続きを読む」に、写真を何枚か載せています。

ことばとからだ

哲学者の鷲田清一先生の本『「ぐずぐず」の理由』を読んだら大変面白く、ググッときた文章があったので引用させていただきます。
この本はオノマトペ(擬態語)にまつわる文章をまとめた本で、ことばの感触とひとの存在感覚を扱った大変興味深い内容となっています。鷲田先生は十代のころからファンで、ずっとその著書は読ませていただいています。


とくに引き込まれたのが、「言葉の内臓感覚」という項目。三木成夫の文章を引用し、人の発生や発達という切り口が盛り込まれたところで何かがカチッとはまったような感覚がありました。
三木成夫の本は大学生のときに『胎児の世界』という本を読んでショックを受け、また人形制作を始めてから再読して人の発生・発達というものについては時折思いを巡らせていたのです。

まさか、オノマトペという「ことば」の世界と絡めて論じられるとは…。

言葉が閉ざされるとき
言葉が言葉になりきらないでもごもご言っているうちはまだいい。が、最後まで言葉をこじあけられないときは?言葉がせき止められたままのとき、喉元の軋みとその緊張はからだのあちこちに伝搬し、そこをこわばらせ、ひずませ、ひきつらせる。それそれの部位のひきつりはたがいに干渉しあい、相乗しあって、からだ全体の佇まいをもゆがめてしまうはずだ。
(鷲田清一『「ぐずぐず」の理由』113p)


私の人形制作においては、「ことばを封じられている」 「ことばが通じない」といったことが重要なテーマなのですが、この文章を読んで「そうか!」と。
ことばが出せなくて身体がゆがむんだ、だから普通の体型はイヤなんだ、と。
自分の中でひとつの納得ができた瞬間でした。

引用箇所は主に、失語や吃音についての文章なので私の考えていることとはずれているのかもしれません。しかし、「ことば」という観念的なものが具体的にここに存在する「肉体」に影響を与えるということは非常に興味深く感じられました。


まだまだ本の内容を消化しきったわけではなく、この本はこれからも何度も読み込むことになるかと思いますが、いろいろと考えをひろげるきっかけとなりました。

「ぐずぐず」の理由 (角川選書)「ぐずぐず」の理由 (角川選書)
(2011/08/25)
鷲田 清一

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胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))
(1983/01)
三木 成夫

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始まりの場所に

私のプロフィールには、
 2004年 回文制作開始
 2006年 人形制作開始
と書いているのですが、創作活動の本当の開始は2003年だと思っています。

展示会等で、「美大を出られたのですか?」などとよく聞かれるのですが、本格的に美術の勉強をしたわけではありません。
大学は文学部で、心理学を専攻していました。心理学というと、深層心理が・・・とか性格分析が・・・といったイメージが強いようですが、私は視覚や認知機能の働きに関心がありました。

話が逸れました・・・。

とにかく、創作活動とは無縁の日々を送っていたのです。人形を見るのは好きでしたので、展示会に行ったりはしていましたが、「とても自分に作れるものではない」と思っていました。

2003年の夏ごろ、就職が思うように決まらず腐っていた私は、ある日思いついて東急ハンズに行き、材料を買ってきて仮面を作り始めたのです。
ですから、この仮面が私にとっての創作活動のスタートといえるかな、と思っています。


そのときに作った仮面がこれです。
かめん

あっぷ

ななメ


今見ると技術的には本当に拙いものですが、この第一作目だけは妙に訴えるものがあるというか、中に篭っているものがあるように感じます。
今でも、ときどき取り出して眺めます。

この後にもいくつか仮面を作りました。
仮面ばかり作っていましたが、「顔を表現するためには全身作れるようにならなければ」と、人形制作を開始したのが2006年のことです。
それから人形ばかり作るようになって・・・今に至ります。


↓以下、拍手お返事

抑制する青

私の通っている教室のサイトの今月の人形のページで取り扱っていただいています…。収穫前のカボチャも写ってるんですが。

この「砂の天蓋」はもう、1年以上前の作品になるんですね。
自分にとって、作品は全部可愛いものですがとくにこの子は可愛いと思えた子でした。
この作品でやっと、人形がちゃんと作れるようになったと実感できたような…。

しかしこうしてみると、今の作品よりだいぶ人間らしい顔をしている気がする。
今のは人間臭さを消そう消そうとしてより無機質になっている感じがします。


先生も指摘されていますが、人形の顔についてはもっと考えていかなければならないと思っています。向き合うことから逃げていることも分かっています。

自分の中にある赤黒いどろどろとした世界を静かな青で抑えようとしていることも…。


感情的になるのは嫌。感情的になっている人の声を聴くのが嫌い。
思えば物心ついた頃から、感情的になることは恥ずかしいことだという認識がありました。人前で平気で泣いて同情を買う女の子が大嫌いだった。
プライドを持って抑えていれば、可愛げがないと言われる。
中性的なものへの憧れは、女性的=感情的という図式からくるのかな?



↓今作っている最中の「天使(仮)」
 いろいろと新たな試みも。

さいきんの


↓先日、教室に持っていったら人気だった「解」
 梱包を解いたばかりでバラバラ状態。

かい


このケータイだと色がぼやーっと広がって綺麗に撮れるんだよなあ。そろそろ買い替え時なんですが。
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